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歯医者へ。1時間半の距離を1時間45分で見積もって行ったのに、今日は間に合わなかった。そもそも流山のインターに入る所が大渋滞、次に向島で出ようとしたのに出口が大渋滞、仕方がないので都心まで首都高でつっこんだ。間に合いそうにないので歯医者さんに電話を入れて30分遅れると伝えた。朝は嵐だったのに、都心に入る頃には青空になっていた。思った通り半蔵門の桜は満開だった。多分、今日あたりに開花宣言が出るだろうが、半蔵門の交番の横の桜は毎年一番早く満開になる。今年も同じだ。千鳥ヶ淵や向島の桜はまだだが、半蔵門だけは日当たりが良いとみえて、毎年満開になるのが一番だ。歯医者では入歯を1個作成中。入歯はどうしても壊れてしまうので、下の入歯も一応予備を作成してもらうことになっている。だから毎週の歯医者通い。
昨日は株が高騰して、ついに大台に乗ったと喜んでいたが1日限りの夢だった。夢なんてものは、しょせん醒める。今日は、夢じゃなくて重要な課題解決の日。入歯が欠けて、欠けた所に舌が刺さって、まともな食事が出来ない日々が続いていたのだ。歯医者へ行って直してもらえた。良かった。しかし、歯医者までの道のりが大変だった。渋滞は仕方がない。そこで都心の高速の渋滞を避けるために向島で一般道に降りた。そこで足がつった。強烈な痛みが右足のフクラハギに走る。しかも痙攣している。しかし、右足を動かさないと車は運転できない。痛い。加速も停止も、すべて右足。この痛いこと、痛いこと。さすってみても治りそうにない。何とか歯医者の近くまで来て駐車場を探す。いつも停める駐車場は空いていない。仕方がないから、グルグル回って、一番入れにくい駐車場がかろうじて空いていた。しかし、ここはビルの1階で幅が狭いのだ。バックミラーを折りたたまないと壁にぶつかることは知っていたのだが、足の痛さにすべてを忘れて、バックしたら、ガシャンという音と共にバックミラーが前に折れてしまった。ああ、車まで壊れるか。ついてない。やってしまったものはしょうがない。なんとか歯医者までたどりついた。最近、歯磨きをサボっていたから、痛いことになるかと覚悟はしていたのだが、先生は入歯の修理に取り掛かってくれた。おかげで痛い目にほとんど合わなかった上に、入歯の修理も終った。これで痛い目に合わずに食事が出来る。車が壊れたのは悲しいが、食事が出来るようになって嬉しい。株の高騰の夢は終った。車を修理しなくても、困った状況ではない。多少、みっともないだけだ。みっともないのは我慢しよう。
メコン川を見るためにミトーまで出かける。運転手の都合が悪くて、出発が11時過ぎになってしまった。今日はDだけが来なくて、H君とお義母さん、それとHちゃんの4人。まず最初に、いつものレストランで食事。その時点で既に1時半なので、だいぶお腹がすいていた。それからミトーの橋を越えて、ひとまわりしてから、途中で巨大な仏像のある寺院に寄ってから帰って来た。メコン川は支流が多いが、その支流の1つでも、そこそこ巨大である。川が見られたから、今回のベトナム旅行は終り。最後の晩御飯は生春巻き。到着2日目に行った店だと言われたが、しばらく思い出せなかった。完全な記憶喪失。体力だけでなく、頭までヤバクなってらお終いだ。今から荷物をパッキングして午前5時にチェックアウトの予定。果たして眠れるだろうか。Hちゃんが送りに来てくれると言っていたが、そんな早朝に申し訳けない。
今日はHCMの郊外までドライブ。Hちゃん、D夫妻に赤ちゃんとお義母さん。楽しかった。歩いた歩数は千歩未満だけど、もう歩ける体力が残っていない。郊外からでも81階ビルは良く見える。川べりで食事。昔風の喫茶店でお茶。昔風というのは冷房無しで煙草が吸える。晩御飯は近くの店でベトナム料理。もちろんベトナム料理を食べたくで来たのだ。この店は、2年前に来た時には無かった道に面していた。この道は、よく知っている通りに直行しているが、2年前には影も形もなかった。町はどんどん変って行く。それにしても、赤ん坊というのは見ている分には、これほど面白いものはない。まだ立つこともできないが目だけはクルクルと興味のあるものを追いかける。それと、女の子があっという間に母親に変身するのは興味深い。子供を持ったことがない身は、可愛いなあと感じてしまう。歩き始めたら大変な目に会うのだろうが、実に可愛い。お母さんは、いつのまにか母になっている。自分の母もきっと同じだったのだろう。こういう風に可愛がられて育てられたかと思うと、亡くなった母に感謝の気持ちが沸いて来る。赤ん坊って本当に面白い。
俺はヘロヘロだ。しかし、今日の歩数は3336歩。これは最近では快挙。とても歩けそうにない距離をヨタヨタ歩く老人にHちゃんが付き合ってくれたから到達できた。これだけでベトナムに来た価値は十分にある。
11時に迎えに来てもらってベトナム料理の店へ。ここでカメラのSDカードを部屋に忘れて来たことに気付いた。美味しい食事の後で一旦ホテルに戻る。スマホの入力もうまく出来ないのでHちゃんに手伝ってもらった。老人は指先が震えて、うまく入力できないのだ。
それから最近できた81階建てのビルに向かう。その75階に喫茶店がある。足がすくむような眺めだ。絶対に自分は高層マンションやホテルには住みたくない。高所恐怖症には怖い。工事中の地下鉄も上空から路線や駅が見える。まだまだ開業は先のようだ。
それから今年の干支の龍が立てられている広場へ。年始には取り壊されるようだが、今年は評判が良いようで残されている。龍の頭は左右に動いている。こういう所はベトナムは拘る。そこから川岸まで。昔はなんということなく歩けた距離だが、今じゃ遠くの道路を見るだけで、はるか到達不可能な彼方に感じる。しかし、ここをタクシーで移動するのは、無理である。何とか100歩づつではあるが、歩きに歩いた。そして川岸に到達。ものすごい達成感。付き添ってくれたHちゃんに感謝しかない。
晩飯はベトナムの麺を食べて帰って来た。何かものすごく一日が充実していたように感じている。
今日はVung Tauまで連れて行ってもらった。さすがに、ほとんど歩いていないので無事に帰還できた。朝9時にホテルまで迎えに来てくれた。2年前と同じ運転手でVung Tauに向かう。行きは、それほど時間がかからなかったが、帰りは大渋滞に遭遇。それはホーチミンに戻って来る車が多いのだから当然であろう。海の手前で昼食。貝が色々と出て来て、美味しい店であった。それにしても、貝だけで、こんな種類を揃えるかと驚く。海べりでお茶。海風が心地良い。それから海岸を回って帰って来た。HCMでは評判の菜食レストランに入ったが美味しかった。Vung Tauの海中に浮かぶ島は、干潮の時には歩いて渡れる道が出て来るらしい。満潮だったので海しか見えなかった。
ヨタヨタしか歩けない。完全な老人だ。2千歩も歩いていないのにヘロヘロになっている。暑さのせいだと思いたいのだが、そんな半端な体力の低下ではない。幸い、いつもHちゃんが助けてくれたから何とか一日を過ごすことができた。楽しい。ホーチミンを楽しんでいる。しかし、1人だったら身動きできない身体になってしまった。朝11時にホテルに迎えに来てもらって、ハーバーチュンの少し先にある店でベトナム料理。そこへD夫妻が合流。近くの戦前からあるという喫茶店でお茶。俺は時々外へ煙草を吸いに出る。なんとトイレが3階で、その階段に足元がふらつく。危なっかしくて仕方がない。それから市場へ行ったのだが、これが中を歩けない。ヨタヨタのジジイである。2年前は、もう少し歩けたはずだ。地下鉄工事の囲いは、すっかり取り外されて、入口だけが地上に出ている。まだまだ開業は先になりそうだ。川岸まで車で行ってベンチで休む。風が気持ち良い。市場から川岸までなら、昔は平気で歩いていた。しかし、もはやタクシー無しでは到達不能だ。川岸のベンチで腰かけて休んでいたら、突如地面から棒が伸びて来て、その先っぽから散水が始った。びっくりしたなあ。そこから、ベトナム料理の店へ行って、再びD達と合流。楽しい食事。この店だってホテルから一方通行に関係なく歩いて行けば近いのは頭では分っているが、もはや歩けない。情けない身体だと痛感して帰って来た。俺はどうなってしまったのだろうか。
何とか外国まで到達できた。無理かと思っていたがHCMで迎えに来てもらえたので倒れずに済んだ。
家を1時半に出たのだが、今は現地時間で午前2時。日本時間だと午前4時。いつもは常磐道から圏央道経由で成田に向かうのだが、ナビが案内した経路は違っていた。なんと三郷から外環道経由で東関道に案内したのだ。東関道は懐かしい道だ。成田もすっかり様相が違っていた。すべて顔認証で自動になっている。切符は昨晩自宅で発券して、それを顔と紐づけする。すると荷物を預け入れるのから荷物検査まで自動。出国審査も以前からパスポートだけで通れるから、すんなりゲイトまで到達できる。しかし、空港は広くて、ゲイトまで歩く距離の長いこと。こんな距離は普段歩いたことがない。座席は最後尾にしておいたので、1人で座れた。しかも暮れかけた空に富士山が見られた。そのために右側の席を取っておいたのだ。伊豆半島のあたりから大阪湾を抜けたので、大体どのあたりかが分る。
ホーチミン到着は現地時間で10時10分。日本では夜中過ぎだ。これが、またイミグレまで遠い。昔なら平気で歩けたが、はるか彼方のように感じる。しかも、ものすごい行列。1時間以上並んだと思う。荷物は持ち上がらないし、外へ出るのも遠い。Hちゃんが迎えに来てくれていて、ほっと一息。異国の天使のように見えた。でも、これだけ体力が弱っていても何とか外国まで来れたのだ。すごいことだ。ホテルで荷物を広げる前に息切れして今日はここまで。でも着いたのです。
今朝は雪が降っていたようだが、起きた時には溶けていた。起きるのもシンドクなってきている。体中がガタガタになっている。
妹に足の爪を切ってもらうのを頼んだ。もはや自分では足の指に手が届かない。だから、足の爪が切れなくなってしまった。完全な老人である。どうやっても足を手元まで持って来れないのだ。腹が出ていることもあるが、それ以上に身体が固くなってしまって動かない。鬼の爪のように伸びていたのが切ってもらってすっきりした。爪がひっかかって靴下やズボンが履けなかったのが、これで問題なくなった。
妹が家を一気に綺麗にしてくれた。とにかく感謝しかない。子供の頃から妹には喧嘩をしても敵わなかった。とにかく強い。私だって、海外生活は長い方であるが、海外で子育てまでして、私よりも旅をしている妹には敵うわけがない。妹にここに住めと言われて引っ越して来たのだから、逆らえるわけがない。
郵便局まで高校の同窓会費を振込に行った。高校の同窓会は年会費を徴収する。なんでだ。会報などを発行しているし、色々な活動をしているようだ。東京支部ではホテルを借りて定期的に講演会もやっている。多少、面倒な組織だと思うが、まとめて5年分を振込むことにした。びっくりしたのは、郵便局のATMというのは振込用紙を読み込んで自動で処理できるようになっていること。これには、びっくりした。コンビニだとバーコードの無い振込用紙は処理してもらえないので、郵便局まで行ったのだが、ここまで自動化されていたのか。今まで振込用紙の挿入口があることすら気付かなかった。
疲労困憊。10時に目が覚めた。身体が動かない。いつのまにか眠っていた。12時に目が覚めた。ニュースを見始めた段階で寝落ち。身体が動きそうにない。2日前の疲労が噴出した感じだ。次に目が覚めたのは2時。かろうじて起き上がる。しかし、身体のだるさは半端ではない。こんなにも体力が落ちているのかと悲しくなる。ようやく3時になって家を出た。今日は、まったく歩けそうにないので、駅まで行くことにした。駅は目の前だが、遠い。駅前のベンチで一休みしてから帰って来た。それにしても酷いものだ。浅草に住んでいた時は、一番近い駅は、どっちの方向に向かっても2キロだった。そこを歩いていたのだ。通勤していたのだ。信じられない。ひたすら、今日が少しでも歩けたことに感謝するしかない。世の中、毎日感謝。
ヤクルトおばさんが来たので、再来週の配達を1回休みにしてもらうように頼んだ。身体が鉛のように重くて、ヤクルトを受け取ってからベッドに横になったら眠っていた。起きても身体は痛い。起き上がるのすらつらい。どうにも身動きできない。ずっと寝ていたい気分。しかし、靴下を履いて、なんとか起き上がって、玄関へ。外へ出ても、まったく歩く力が沸いて来ない。しかし、へたりながらも何とかコンビニまではたどりついた。500mの距離ではあるが、これが歩けないと空港のターミナルすら歩けない。情けない身体だ。そして、あまりにも孤独。そもそも、この界隈には友人は住んでいない。わずかに車で1時間ほどの柏に住んでいる友人は入院したままで安否も分からない。都内だったら、ある程度の知り合いは居る。やっぱり都内の賃貸マンションに住み続けるべきだったかも知れない。そしたら、たまに友人に会うことも出来た。この田舎では、誰に会うこともなく寂し過ぎる。こんな寂しい老後はあんまり想像していなかった。株価は4万円を越えたとか言っているが、俺の持ち株は下り続けている。世の中の動きとは逆に動く。寂しい田舎で孤独な老人は、重い足取りで何とか生きている。それにしても孤独だ。コンビニでお金を降ろしたら、最高額が20万円だった。ATMは30万円だと思っていたのに違っていた。
2800歩。コンビニに到達。駅までよりわずかに遠い。しかし、何とか往復歩けた。60歩づつで立ち止まるのは息が切れるのだが仕方がない。これでも大冒険である。次の信号まで到達できれば言うことなしだが、そこまで無理は出来ない。昔は、次の駅、さらに次の駅まで歩けたが、もはや老体には無理である。少しずつ少しずつ体力を何とかしないといけない。
帰って来たら、ガス屋さんがメーターを取り替えていた。メーターは寿命があるものらしい。水道の請求書と一緒に、水道料金免除のお知らせが入っていた。物価高騰に対する、この町の施策だそうだ。しかし、よく読んでみると、免除になるのは、たった1回で、基本料金だけで、下水道料金は入っていない。貧乏な自治体だから、そんなものとは思うが、それにしてもセコイなあ。東京都内だともっと色々とメリットがあるのだろうが、千葉の片田舎では、これが限界かも知れない。
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