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荷物が届くかと思って、お昼に晩飯の買物を済ませたのに、結局届かなかった。アマゾンは大体通告通りに届くものだが、珍しいこともあるものだ。夕方6時までは待っていた。6時に花火を見に行こうと思って家を出た。花火会場までは、そんなに遠くない。雨天なら明日と書いてあった。しかし、雨は降っていない。家を出て15分位した頃に、突然大粒の雨が叩きつけるように降り始めた。半端な雨じゃない。これは絶対に花火は中止だと思って引き返すことにしたのだが、この道が大変だった。冠水している区間があちこちにあるのだ。ナビは冠水を避ける経路を探索しますと言うが、必ずしも避けられないかも知れないので自分で判断して下さいと言い訳けを言うことも忘れない。それにしても激しい雨だった。
午後1時、新しいエアコンの取付に来てくれた。エアコンって、壁の板にかかっているだけなんだ。室外機は重そうだが、軽々と持ち上げていた。パイプの色は外壁に合わせてアイボリーを頼んでいたのだが、他のエアコンが全部白色だったので、それに合わせることにした。古い機材やゴミは全部持って帰ってくれた。コンセントが壊れていたのも、ついでに直してくれた。ちょっと面白くて2時間ほど眺めていたら、くたびれてしまった。作業する人は、外の暑さの中でも重労働で大変だろう。これじゃエアコンの値段は意外に安いかも知れない。
エアコンの下に置いてあった大きな鏡の足が壊れているのを発見してくれた。多分ロボット掃除機がガンガン衝突した時に壊れたのだろう。こちらは大問題だ。この町の粗大ごみ回収が分からないし、放っておくと倒れる。瞬間接着剤で何とか修理を試みるしかないだろう。倒れてガラスが散乱したら、3.11の時と同じ目に合う。あの時は散乱したガラスを回収して捨てるまでが泣きそうだった。修理しようと瞬間接着剤を買って来た。しかし、接着しながらネジを回すのは2本の腕では不可能だ。やっぱり泣きそう。必死になって接着してネジ止めしたが、1人で出来るのは、これが限界。
エアコンの取り外しと取付の写真を撮っていたら、写真をアップしないようにと言われた。個人情報の流出に繋がるからネットにアップしてはいけないらしい。
昨日からお仕事のお誘いメールが来ている。この暇な時間を解消するためには、やりたいという誘惑にかられている。しかし、その半面外地暮らしに体力が耐えられるかという不安もある。でも、最後の外地暮らしには魅力を感じてしまう。
エアコンの修理に来てくれた。しかし、今回は外のコンプレッサーが壊れているから直しても無駄だと言われた。10年経っているから限界なのだろう。ウチは1階のワンルームに3台のエアコンを設置しているから、1台が壊れても実際には困らない。しかし、どのエアコンも引っ越しの時に買った物だから寿命は同じだ。それなら安心のために買い替えた方が良いと考えた。早速、近くの電器屋へ。エアコンを1台購入。また大きな出費だ。
エアコンを買った後で、メガネを受け取りに行く。市ヶ谷までは問題ないのだが、駐車場に車を入れてから店までの100mほどの距離が歩けない。何度も立ち止まって、ようやくたどり着いた。エアコンよりも高いメガネを受け取って、早速かけ替えた。その後で、一番町時代にオフィスのあったビルを見に行った。1階はお兄ちゃんがやっている雑貨屋だったはずだが、今はそんなビルはない。レストランが1階に入ったビルに変わっていた。オフィスのあった6階は空欄のままだった。
足の指が相変わらず痛い。本当に骨が折れているのではなかろうか。
左足の人差し指の付け根が痛い。時々痛くなって歩けなくなる。何かできものが出来ているわけでもない。手で触れば普通の足指だ。しかし、歩くと強烈な痛みが走るのだ。何か原因があるのだろうか。こういうのって誰に相談するかも分からない困った症状だ。
ゴミ捨てというのは意外にも面倒な家事である。ウチからゴミ捨て場まで片道80歩。しかし、これを夜中に服を着て出かけて行くのは面倒くさい。そこで最近発見した方法がある。夕方買物に出かける時にゴミ袋を車に積んでおいて、帰り道でゴミ捨て場を通りかかった時に捨てるのだ。これだと夜中に服を着て出かける面倒がなくなるし、歩かなくて良い。問題は1日分のゴミが来週に残ることだ。しかし、人生は順番だと思えば、順送りに来週に回して行けば良いじゃないか。多少ゴミ袋がもったいないが、まあ順番と考えて楽な方を選択する。何事も楽な方が良いに決まっている。
終戦の日、と言っても、もはやあまりにも遠い昔。ほとんどの人が忘れてしまっているだろう。子供の頃に、丁度3~4歳の頃だったと思うが、通りの家々に国旗が並んでいて、母親にあれは何か聞いた記憶がある。そしたら日本の国旗だと言う。日本という言葉すら知らなかったので、隣の町も日本か、遠くの町も日本かとしつこく聞いた。そしてなんとなく、ずっと遠くまで日本らしいということを知った。あれは占領が終った日だったのだろう。戦後生まれの我々世代には、多少は戦後の記憶が残っているが、今の若い世代には歴史の教科書に1、2行登場するだけかも知れない。
明日は台風が来るらしいが、病院の予約が入っている。暴風雨の中を歩くのはきつそうだ。
一人暮らしは好きだが、孤独はきつい。一人で海外で長期で暮らしたことは何度もあるが、少なくとも仕事での会話があった。しかし、最近は何の会話もない。古い友人達は皆鬼界へ行ってしまった。馬鹿話をしたくても入院中の友人は居ても健康な奴が居ない。これはキツイ。だからメガネを作りに行って何とかお店の人でも会話がしたくなったりする。今更、新しい友達が出来るわけではないから、生き残っている古い友人を訪ねるしかなさそうだ。世の中から必要でなくなった人間ほど孤独なものはない。
車の後部座席のヘッドレストが上に伸びたままになっていたのはSNSで教えてもらったら元に戻せた。次に、突然家の電話が繋がらなくなった。調べたら、テーブルテレビの後ろの配線が一本抜けている。グチャグチャの配線の中で何が抜けたのか分からない。電話をかけて、ようやく原因が分かった。先日、若者達が訪ねてくれた時に、埃だらけだったテレビ台を綺麗に拭いてくれたのは嬉しいのだが、その時に1本線が抜けたようだ。とにかく配線の束なので、私は絶対に触らないようにしていたから、埃だらけになっていたのだ。まあ、親切は嬉しいが不注意は困る。このままだと完全にお手上げになるところだった。
岸田首相が次期総裁選に出馬しないと発表した。これだけ不人気な首相は今までになかった。まあ、当然だろう。しかし、今はどこにも人材が居ない。人材不足は、日本中どの業界でも同じだろう。我々が20代の頃は、どんな仕事も若者にやらしてもらえた。上の世代が居ないのだから幸いだった。無茶苦茶だったかも知れないが、それで日本は高度成長してきたのだ。
昨晩、ふと思い立ってメガネを作りに行くことにした。そういえば10年近く作ってなかったかと思って出かけたのだが、お店の記録では7年前だった。きっとその時は電車で行ったはずだから、遠くまでよくぞ歩けたものだ。今日は駐車場がみつからなければ諦めるつもりをしていたが、駅の近くに地下駐車場がみつかった。メガネは外ではサングラスになる調光レンズにして、フレームもちょっとおしゃれにしてみたつもりだ。視力はそれほど変わっていなかった。近視は進行していなかったし、遠視は改善気味。結局、レンズを作り変える意味はあまりなかったのかも知れない。でも、とにかく欲しかったのだ。最近、大きな買い物をしていないから欲求不満が溜まっていた。18万5千円の買物をして相当にすっきりした。もう一ランク上のレンズだと5万円高くなるが、ちょっと20万円越えはやり過ぎかと思って諦めた。
昔の会社のあったビルまで行ってみようとしたのだが、歩くには坂がきつい。車で回ったら、一方通行だらけで到達できなかった。何度も試したが行きつけない。昔は車で通っていたはずなのに、車の道が分からなくなってしまった。記憶とは何と曖昧なものか。まわりの風景は覚えているのに、そこに到達できないもどかしさ。
強烈に暑い日だった。歩いて行ったら倒れただろうな。でも、車で行けることが分かっただけでも大成果だろう。市ヶ谷駅前に会社があって、丁度家出した頃だから少なくとも24年は経っている。大昔だな。その頃結婚した甥っ子の子供が既に大学生。時間の経つのは実に早い。とにかく、くたばる前にお金は使い尽くすと思っていても、メガネ程度しか欲しい物がない。
ヤクルトおばさんが来て、また新しい2週間の始まり。ヤクルト1000が毎日の飲み物になっている。
エアコンとテレビの修理を頼むことを決断してWEBを検索。エアコンのシャープは、すぐに修理に来てくれる日程が決まった。しかし、テレビのソニーは、製造終了で全く対応してくれそうにない。なんなんだよ。せめて、次の機種くらい紹介したらどうだ。原因は不明。とにかく、テレビを付けていると横縞の模様が現れると、縞だらけになってしまう。電源を消して立ち上げ直すと戻ることもある。戻らない時は、しばらく放っておくと治っている。要するに完全に映らなくなったわけではないから、時々電源を切って対応すれば、しばらくは持ちこたえるだろう。テレビは高いから、しばらく買い替えてやるものか。それにしてもソニーはサービス悪いなあ。
珍しく朝の9時半起き。柏の病院まで意外に時間がかかるので、1時間は余裕を見なくてはいけない。病院の受付に予約票を提出したら、待ち時間無しで呼ばれた。薬を出してもらうだけだから、早い方がいい。しかし、支払いで45分も待たされた。ちょっと長すぎる。
家に帰って来て午後2時、ベトナムの若者達が食料を持って来てくれた。バオ(熊)君も、もう立ち上がって少しは歩けるようになっている。本当に子供は成長するのが早い。美味しいベトナム料理でお腹が一杯。満足。
彼らを大宮まで送って行ったら、大宮駅の近くから豪雨に出会った。ものすごい雨。幸い駅前に庇が出ていたから停められたが、さもなくばずぶ濡れだろう。
しかし、そこからの帰り道が怖かった。道路が冠水しているし、前は見えないから、ゆるゆるしか走れない。これには少々疲れた。稲妻がガラガラドスンと鳴っていた。
イベントの多い一日で楽しかった。
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