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ベトナムの娘が家に来てくれた。ベッドの下で止まってしまったルンバを救出してもらった。落ちたカーテンは、何とカーテン吊りが、太陽の熱で焼けて壊れてしまっていた。10年も経つと、プラスチックそのものが破損するようだ。だからホームセンターまで買物。昔は歩き回ることが楽しかったホームセンターも、今じゃ歩行困難だから、買物は娘に任せて駐車場で待っていた。スターバックスも車で待っていて、買って来てくれるのを待っていたし、スーパーでも車で待つだけ。だんだん歩くのすら避けている。次に海外旅行に出る時には車椅子を頼まないといけなくなりそうだ。助かった。これで問題は解決した。鍵を渡してあるので、来た時も帰る時も、自分で鍵を閉めて帰ってくれた。完全な老人である。そのうち面倒見てもらわないといけなくなるのかも知れない。
とうとうウチの冷房を止めた。何ヶ月かスイッチを切らずに動作してきた冷房である。家に居る時も居ない時も、スイッチを切らなかったが、ついに切る時になった。ようやく暑さが通り過ぎたようだ。別に節電する気はない。部屋を涼しくしておくことが大事なのだ。そして、イチジクを通販で買った。値段が少し高くなると、ウチの近所のスーパーからは消える。すべての品物が安い物で統一されている。かって青山のスーパーに通っていた身としては、なんで突然なくなるんだと思う品物が多い。せっかく旬の時期でも高くなると棚から消えるのだ。ここは東北だと思うことがある。田舎道にポルシェやフェラーリが走っているが、この町には高速道路はない。しかし、外に見える物にはお金をかけるのが東北人の特徴のようだ。関西育ちの私には時々違和感を感じる。関西人は見える所にはお金をかけない。見えない所にさりげなくお金をかける。この感覚の違いは、江戸川を越えて引っ越して来てからずっと続いている。東京は日本国中から人が集まっているから、多少関西と東北が混在している。ただ、渋谷と浅草では文化が違う。関東圏では江戸川が境目になっているように感じる。それにしても、多少頭がふらつく。目が回っているのが気になる。まあ喜寿も過ぎれば色々と障害も出て来るだろう。
「こちらはNTTです。代金が支払われていないので電話が止まります」と機械の音声で電話がかかってきた。機械の音声でなければ遊べると思ったのに、何かダイヤルで入力させようとするから切ってしまった。残念。そもそもNTTが代金未払いになった時には警告なんかして来ない。突然電話が繋がらなくなって焦るのだ。代金が10円不足して切られた経験者は良く知っている。しかも、ウチの電話はあいにくNTTではない。インターネット電話である。それにしても、どこからかけて来るのかしら。どこか海外から詐欺電話がかかってくるらしいが、残念ながらウチの電話機には発信番号通知機能がついていない。別に出ないから構わないのだが、詐欺電話相手に遊べるかと思ったのに、機械の自動音声を使って来るのは面白くない。しかし、世の中は詐欺もどんどん進歩しているようだ。
午後2時に浅草の床屋を予約してあった。12時半に家を出たら、ナビが下道を表示している。これはまずい。とにかく高速に向かう。高速の流山ICに着いたのは午後1時。ナビの到着予想時刻は午後4時。そんな馬鹿なと思って進んだら、三郷から小菅までの所要時間が90分になっている。これでは絶対に間に合わない。電話して別の日に替えてもらおうかとも思ったが、2時にどこまで行けるか試してみることにして錦糸町まわりの道を選択。やっぱり渋滞している。箱崎で何とか2時直前。ぐるっとUターンして、駒形へ。かろうじて浅草で駐車場に車を停めて、ヨタヨタと歩いていたら、床屋の入口近くで、床屋のオバサンから電話。今、店の前まで来ましたと伝えて、何とか2時過ぎだったけど、床屋へ行くことが出来た。ここは昔住んでいた家からは1kmちょっとだけど、歩いて来ていたが今じゃ5百メートルすら歩けない。でも、ようやくさっぱりした。人生の節目を迎えるに当たって髪くらい切っておきたかったのだ。トイレが我慢できなくて、ちょっと漏れてしまったので、帰って来て全部着ていた服から下着までを洗濯機に放り込んだ。珍しく早く仕上がった。新しい洗濯機は、洗剤も柔軟剤も勝手に入れてくれるから、服をポイと放り込んでスイッチを押せば、乾燥して出来上がる。すぐれものだ。しかし、ちょっと疲れたかな。
歯医者へ。もう一組入歯を作ってもらえた。これで噛み砕いても、差し当っての替えがある。なんでか時々噛み砕いてしまう。別に強く噛んでいるわけではないし、気をつけているのだが、その程度では駄目なようだ。しかし、入歯は高い。仕方がないか。支払いを済ませて、駐車場までの途中まで歩いたところで、歯医者さんから電話があった。計算間違いがありましたが、まだ近くですかと言われたので、ヨタヨタと必死に歩いて戻った。歯医者の入口近くまで到着したら、女の子が走って飛び出して来て、間違いはありませんでしたと言ってくれた。そのわずかな距離でも歩けない老人には助かる。それから再び駐車場へヨタヨタ歩く。とにかく自分の車に戻りさえすれば、家に帰ったのと同然。しかも煙草が吸える。歩き疲れた身体が休まる。とにかく歩けなくなってきている。いくら頭で考えようが努力しようが、身体が動かないのだから、どうしようもない。
早朝に月食があった。外を見たら月が赤くなっていた。皆既月食だそうだ。カメラで写真を撮ろうとしたら、長い間放置してあったカメラの電池が切れていた。少しだけ充電したら、日付を入力するだけで止まってしまった。我慢するしかないと思い15分間待つことにした。ようやくカメラのスイッチが入った。2階のベランダから皆既月食の月は見えるのだが、カメラを向けても暗闇しか表示されない。何とか写るのを期待して、何枚か写真を撮ったのだが、どれも明るさを調整しても、真っ暗闇しか映っていなかった。だから、この写真は、皆既月食を撮ったつもりになった写真である。2階のベランダに出ることなどほとんど無い。カーテンを開けたら、バッサリとカーテンが落ちて来た。レールの取り付け部からカーテンが外れてしまったのだ。手は届かない。椅子に乗れば簡単に取り付けられるはず。そう思って椅子を持って来たら驚いた。椅子に登れないのだ。足が上がらない。普通の椅子の上に登れないなんて一体俺の身体はどうなってしまったのか。情けない以上に悲しい。自分の身体が、椅子の上に登れないほどに衰えているとなると、もはや先は長くないかも知れぬ。それはない。椅子に登ろうとして、こけて倒れても誰も助けはいない。諦めた。来週にでも、若者が遊びに来てくれた時にカーテンをつけてもらおう。それにしても椅子の上に足が上がらないのは、あまりにも酷い。皆既月食などより、椅子とカーテン問題の方がはるかにショックである。
叔母さんが6月に亡くなったと従弟からメールが来た。亡くなる前に一度でいいから会いたかった。自分の子供時代や、母のことを知っている最後の一人が居なくなってしまったのだ。聞きたい話しは色々とあった。一番年下の叔母さんで、歳は私と14歳しか離れていない。だから女学生の制服を着た叔母さんの写真も手元にある。母の実家に遊びに行くと夕方元気良く帰って来たのを思い出すし、私の田舎へも遊びに来てくれた。物心をつかない頃の自分の話しを聞ける最後の人だったのだ。とうとう上の世代はすべてあの世に旅立ってしまった。寂しい。無性に寂しさが押し寄せる。それにしても、母方の爺さんが井深さんの従弟だったとは知らなかった。私の直系に有名人が居たのか。周りの友人の中には坂本竜馬を切った人物の曾孫がいたり、彼はまだまだ元気だろうが、日本海海戦の艦隊長の孫が居たりしたが、彼は行方不明である、まさかあの爺さんがそんな人だとは聞いたことがなかった。でも、すごくしっかりした格好良い爺さんだった記憶がある。母方の兄弟は7人と聞いていたが、どうしても6人しか思い出せないと叔母さんにメールしたら、最後の一人は戦後生まれて間もなく亡くなったと教えてもらった。戦後に預金が凍結されていたので、薬のために土地をすぐに売ったそうだ。だから母が、昔の家は大きかったと話していたのは覚えている。そういう決断をすぐに出来る偉い爺さんだったが、そんな所でソニーと繋がっていたとは思いもよらなかった。世の中は巡り巡ってどこかで繋がっているものだ。しかし、葬儀にも行けなくて、生前に一目会いたくて、やっぱり悲しい。
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